2020年1月27日月曜日

【2020/1/19】給田 六所神社 世田谷〜狛江〜調布(その2)


 さて、続いては六所神社です。他所ではあまり見ませんが、世田谷には複数あるので、ここは「給田 六所神社」としましょう。
  ここも中々立派な社殿、そしていつ来ても綺麗に掃き清められている境内が印象的です。
神社は、北にある仙川を向いて建っているのですが、その社殿の後ろは小高い斜面地になっています。
 そのためか、社殿の背景が鎮守の杜の様相を残しています。ちょっとした昔話にでてきそうな雰囲気を残しているのが嬉しいですね。
 正確に北向きと言うわけではありませんが(やや北東かも)、ちょっとめずらしい方位を見せているのも特徴かも知れません。
 
 本殿の脇には、唯一の境内社である稲荷神社があります。いつもの通り、こちらにも参拝です。




 ここの狛犬、特に阿形の小狛犬が何とも言えず、愛くるしいのです。こんな姿を見つけるのも神社巡りの楽しみだったりします。

【鎮座地】東京都世田谷区給田1-3-7
【御祭神】大國魂大神、天照皇大神

【2020/1/19】烏山神社 世田谷〜狛江〜調布(その1)

 この日の最初は、我が街、世田谷区内の烏山神社です。
とは言え、あまり土地勘がない千歳烏山近辺ですので、まずは京王線で駅に向かって、Google Mapのアシストで参拝コースに入ります。
 と、とりあえず歩き出そうとすると、千歳烏山から一つ新宿がわの芦花公園駅方面をアシスタントに指示されます。画面をよく見てみると、芦花公園駅と千歳烏山駅の中間ぐらいの位置なのですね。頭の中で勝手に千歳烏山駅至近だと思いこんでいましたが、ちょっとした距離があるようです。ひとまず、歩きましょう。
 駅に向かう途中は典型的な感じの私鉄の風景、駅から離れるに連れ商店が減り、住宅地の只中に入っていく感じです。そう思った矢先、神社へ到着です。

私の場合、あまり予習をせずに神社への初参拝となるのですが、少し広い境内に立派な社殿が建っています。
 村社らしい威厳が感じられます。
 この神社、もともとは白山御嶽神社だったということで、御祭神は白山比咩大神と御嶽大神、それに後に合祀された天照皇大神、倉稲魂命、菅原道真公と名を連ねています。ご利益優先なら、かなりのカバー率だなと思える御祭神の陣容です。
 そして、少し社殿を回り込んで見ると、ちょっと意外な碑が建っています。
 石碑が建てられた年を探さなかったのですが、それほど古そうではありません。それが、本殿の真裏に置かれているのですから、元々の白山御嶽神社という存在に対する強い崇敬を感じてしまいます。
 逆に言えば、多くの神社が社号や御祭神に対する変化が起きる中で、旧来の存在が希薄になり、調べでもしなければ中々見つけられることが難しいのが当たり前になっています。が、この烏山神社では、形として残しているのは良いことなのではないでしょうか。
 そして、境内を歩けば、当然、狛犬です。境内には正面鳥居から拝殿までの間に新しめの一対、そして北側の鳥居のそばに一対が置かれています。下の写真は、北側鳥居に近い狛犬さんたちです。

 どちらも良い感じで時代に揉まれた感のある狛犬たちです。また、境内社や合祀の跡でしょうか、石祠が幾つか置かれています。狛狐も良い感じです。

 そんな感じで、境内をウロチョロと歩き回ったのですが、見つからなかったのが、ある手水鉢「元文元丙辰年九月吉祥日」と書かれているそうなのですが、そのようなものは見つからず…。でした。(´Д`)ハァ…
【鎮座地】 東京都世田谷区南烏山2-21-1
【御祭神】白山比咩大神、御嶽大神、天照皇大神、倉稲魂命、菅原道真公

2020年1月18日土曜日

【2020/1/11】飛不動〜吉原弁天

 と言うわけで、ようやくこの日の最終行程です。
三ノ輪から龍泉に向かい、そこから吉原弁天に入るコースになります。
と、その途中で「飛不動」の文字が見えてきます。
 …「あ、まだ行ったことない」と、時計を見てみると針は3:57を指しています。概ね、どの社寺でも4:00までは社務所・寺務所が開いていますから、ギリギリです。
 半ば飛び込むように境内に入ると、そのまま本殿へ。
山門
大きくはありませんが、いい雰囲気の境内でホッとしつつお参りをして、次は本殿右手の寺務所へ御朱印をお願いしに足を向けます。
本殿
先客がいて、更にホッとしつつ、お守りを見ていると飛行機や飛距離なんでしょうか?ゴルフ関係のものが並んでいます。名前の通り「飛び」に関するご利益なんでしょう。
 
 しばらく待ちましたが、御朱印にはとても丁寧に対応をしていただけます。御朱印は、飛不動、恵比寿、聖観音の三種、それぞれ400円。
 恵比寿様には、本殿をはさんで社務所の逆位置にお堂があり、にっこりと微笑まれているところへお参り。更に、その脇には2体の羅漢様がお話し合いをされていますよ。

 さて、飛不動を後にして、吉原弁天へと向かいます。吉原神社の境外社、吉原弁財天本宮として記述されています。
近づくに連れ、人が集まっているのがわかります。中ではお一人が観音像の台座を掃除してる様子と共に、やはり数人が撮影しつつのお参りの最中です。以前も掃除をされている方がいたものの、お参りは私一人でしたので、人がいると少し明るい雰囲気になるものだと実感。
 この場所は、関東大震災の慰霊が主目的となっている場所で、全体に重い空気が支配しているのです。中の御池は、当時からとても小さなものだそうですが、それでも人が亡くなった現場として、どんなに規模が小さくても、残す意味があるのでしょう。
 そして、弁天堂よりも何よりも目立つのが観音像です。正面から見ても立派なものですが、少し脇に回り込んで見上げると、ぞっとするほど綺麗です。色々調べてみていますが、作者がわかりませんが、重い空気の中で、唯一と言っていいほど輝く存在になっています。
 この像が見られたので、この日は満足。目的の2つの目黄不動への参拝も成功。また予定外に見つけられた小松川神社が予想外に、色々とありそうな良き神社でしたし。
 駆け足でいながら、じっくり色々と考えることができたのも収穫です。

【正寶院(飛不動)】
所在地:東京都台東区竜泉3-11-11
宗派/ご本尊:天台宗/飛不動尊
詳細(拙サイトへ):こちらから
【吉原弁財天本宮】

 

2020年1月16日木曜日

【2020/1/11】永久寺(目黄不動)と稲荷神社、そして浄閑寺(投込寺)

 さて玉姫稲荷神社から泪橋の交差点を経て、もう一つの目黄不動へと向かいます。概ねの徒歩ルートは、明治通りに出て、そのカーブを目指せば良いだけのシンプルな感じ♫だったのです。Google Mapは、そこから脇道に入れてと言っているので、素直に歩きます。が…お寺が無い!。その代わりに小さな鳥居が見えてきました。
近づいてみると、マンションの一角にある邸内社の様子。ですが、特にお参りを妨げる様子もないので、手を合わせてから、永久寺の入り口を探します。

 が、無い…。脇道も突き当りで終わりです…。Google Mapの悪戯ですね。
 そして、ふと見渡すとお寺特有の壁があるではありませんか!
 近づけばお地蔵さんがあります。「あれ?ちょっとズレてる?」と思う一方で「ん?このお地蔵さん、見覚えがあるような」と思って脇の案内板を見ると「浄閑寺」の文字が(汗)。
 そう投げ込み寺の浄閑寺です。昨年はお彼岸の時期に来たので、檀家さんの車と人手とで大混雑でしたが、流石に1月の半ばは空いています。
 あの日は人手が多すぎて、手を合わせて辞去してしまったのですが、この日は永久寺が待っています。で、結果、手を合わせるだけの参拝となってしまいました。また出直します。

 そして、明治通りに戻って見ますと…ありました。永久寺!
 それほど門の向こうにある建物が、ご本堂のようで、その左側に不動堂らしき堂宇が見えます。
 最勝寺のお不動様は見ることができませんでしたが、こちらはしっかりと見ることできます。お堂が大きくないこともあって、近くで拝んでいるような感覚で、スマートな不動像に手を合わせることができました。そして御朱印です。
 まず、本堂らしき引き戸を開けようとしました。が、閉まってる(汗)。そこで、少し右手に進むと、もう一つの引き戸があり、そこでインターホンをならして御朱印をお願いしました。ご住職が不在とのことで書き置きにはなりましたが、これで今日の目標はコンプリート。と、目を足元に向けると、ちょっと地面が…
 波々の模様になっていて、なにか不思議な感じだなと目を凝らして見ると、瓦なんですね。それを立てて埋めたり追いたりして、通路と、仕切りにしていたりします。それにしても凄い数です。そして瓦の隙間には苔が生えていて、中々、風情のある不思議な景色でした。
 そして、今日の行動は終わり!にしようかと思ったのですが、もう一尊、お参りしておきたいところを思い出して、もう一か所、足を伸ばすことにしました!

【永久寺(目黄不動)】
所在地:東京都台東区三ノ輪2-14-5
宗派/本尊:天台宗/阿弥陀如来
詳細(拙サイト):こちらから
【三ノ輪の稲荷神社】
鎮座地:東京都台東区三ノ輪2-13-6
祭神:不詳
詳細(拙サイト):こちらから
【浄閑寺】
所在地:東京都荒川区南千住2-1-12
宗派/本尊:浄土宗/阿弥陀如来
詳細(拙サイト):未登録

2020年1月13日月曜日

【2020/1/11】玉姫稲荷神社

 山谷、泪橋。ずぅーっと東京で生まれ育っているのに、足を踏み入れたことの無い地区でした。それが目黄不動の永久寺へ向かうバスに乗っていて「泪橋」の停留所を見つけてしまったことから「行ってみんべ」と足を向けたのです。
 正直、山谷とは言っても、少し中心からは離れた場所でしたから、途中の公園がブルーテントの住居で埋まっていたのと、多少、それっぽいホテルが目に入った程度のやんわりとした初体験で終わったのです。が、そんな中での玉姫稲荷神社は、ちょっとした「風景」を作っているのですね。

 一つは、この神社が「あしたのジョー」の舞台、そして私の動機となった泪橋の近くにあること。この付近の神社では「樋口一葉のたけくらべ」や「酉の市発祥の地」など、様々な所縁がキャッチコピー化していますが、ここは当然「あしたのジョーのふるさと」です。だから社殿の前には、矢吹丈、そして白木葉子のパネルが置かれています。流石です。
 この日は、先客でアジア系のアベックがいて、ちょっとにぎやかでしたが、普段は結構、静かな神社なんじゃないかと思われます。
 
 さて、この神社で有名なのが、口入稲荷という境内社です。狐穴があったりして、ちょっとミステリアスな稲荷神社になっています。

 さて、もう一つの八社殿という境内社にお参りしたら、本殿右側の社務所で御朱印をお願いします。宮司さんが何とも江戸風の飄々とした面持ち。快く対応していただいた上、わざわざ一度、表に出て御朱印帳を手渡していただき、何とも申し訳ない感じで、辞去。
 また来ます!
鎮座地:東京都台東区清川2-13-20
御祭神:宇迦之御魂命
神社情報:拙サイトへ
(新しいタブで開く)

【2020/1/11】平井 白髭神社、浅間神社

 さて、次の参拝は平井の白髭神社です。「向島の白髭神社は宮司さんの立派な白ひげに目を惹かれましたが、こちらは?」とか考えつつの歩き道でした。Google Mapの残り距離が少なくなり、左に折れるべきT字路で、逆方向にチラリと鳥居が目に入ります。これが平井の浅間神社、白髭神社の境外社なのですね。
平井 浅間神社を見上げて

かなり規模が大きそうなので、まず白髭神社にお参りです。

 白髭神社、そこから2-3分の距離。到着すると境内に入ってお参りです。
 比較的広い境内ですが、狛犬や社殿などが比較的新しいものばかり。おそらくは空襲の影響が大きかったのかと推察しています。また、本殿の左手にある社務所に伺ったのですが、お留守のようだったのでお話も聞けずに辞去。再び浅間神社、富士塚へと向かいます。

富士塚そのものが浅間神社となっていますが、崩落の防止などのため、現在では溶岩をコンクリートで固めた形になっています。ここは色々な意見があるかも知れませんが…。
こんなちょこっとした見晴らしがあるだけでも、参拝登頂する意味がありそうな気がします。

鎮座地:東京都江戸川区平井2-3-4(白髭神社)
御祭神:猿田彦命(白髭神社)
詳細(拙サイト):こちらから

【2020/1/11】最勝寺(目黄不動)

 さて、3つ目の参拝先。本日の二大目的地のうちの一つ、最勝寺(目黄不動)です。こちらは天台宗の寺院で正式には牛宝山明王院最勝寺となります。
 
山門からの境内
江戸五色不動として、白・黒・赤・青、そして目黄の不動尊が都内に分散しています。一般的な誤解として、それぞれのお不動さんの目が、それぞれの色で彩色されているように思われますが、実際の像を見ると「あれ?普通じゃん」となるかもしれませんね。
 そう、実際には目も体色もお不動様の一般の像容と変わらないのです。では、なんで「五色」なんてグルーピングが為されているかというと…。
 五行思想の五色(ごしき)からと言われる。

 Wikipediaには
寛永年間の中旬、3代将軍徳川家光が大僧正天海の具申をうけ江戸の鎮護と天下泰平を祈願して、江戸市中の周囲5つの方角の不動尊を選んで割り当てたとされる。最初に四神相応の四不動が先行し、家光の時代ないしは後年に目黄が追加されたとして語られる場合もある。
 こんな説明が書かれています。この後まで読み込んでみると、まずは目白・目黒のお不動さんがあり、これに動坂の赤目不動を目赤と改めさせ、更に青山にあった教学院が近くの廃寺からお不動さんを取り寄せ、これが目青不動となり現在の世田谷、三軒茶屋へと移転。最後に浅草勝蔵院にあった「明暦不動」がメキ不動に訛り、更にそれが近隣の2つの寺院のお不動さんに比定されたのではないかと考えられるようです。結果、江戸五色不動として確立するのは、どうやら明治に入ってからの事となるようですね。
 
 さて、この最勝寺、詳しくはサイトをご覧いただくとして、インプレッションです。この区画、幾つものお寺がならぶ所謂「寺町」です。最勝寺は、この真ん中に位置するお寺ですが、それほど目立つ案内板があるわけではなし、Google Mapと寺号や看板との首っ引きで歩くことになります。一筋間違えると、結構、戻るあるいは前に進んで隣の筋へと移動するのが大変な区画配置になっている分、無事、看板を見つけたときは、かなりホッとしましたね。
 山門から境内に入ると、意外に広々とした空間が広がります。目の前には本堂、目的の目黄不動が祀られている不動堂は右手に建っています。まずは本堂の御本尊は釈迦如来にお参りをします。そして寺務所で御朱印をお願いし、快い対応をしていただきました。

 ここから、不動堂へ移動します。
立派な不動堂ですが、不動尊像はすりガラスの向こう側のため、拝観はせずに手を合わせるだけにしています。そして、最後に境内にある稲荷神社にお参りをして辞去。天気も良くて晴れ晴れとした気分です。

所在地:東京都江戸川区平井1-25-32
宗派/本尊:天台宗/釈迦如来
詳細(拙サイトへ):こちらから

2020年1月12日日曜日

【2020/1/11】小松川神社

 この日、2つ目の参拝先は小松川神社です。
目黄不動、最勝寺へ向かう途中、完全に偶然の出会いでした!!
境内では何人もが、せわしなく動いています。どうやら、年末年始に飾り付けられたものを仕舞っている様子です。準備に人が多く出る様子は、よく見る光景ですが、後片付けにも多くの人が関わっている様子は、気づくことが少ないのか、あまり見かけることがなく、この小松川神社が氏子さんたちに大切にされていることがよく解ります。

 さて、この神社、色々と不思議なところがある神社でした。いや、一見、普通の神社ですし、氏子さんたちの後片付けを邪魔もできないので、あまりじっくりとは見られなかったのですが、それでも狛犬や石祠など古いもの、戦前から遺されたものが沢山あるようです。
 狛犬は、阿形、吽形共に子連れです。どちらも、生き生きとした狛犬さんですが、子狛犬は共に、専用(?)の台座に載せられているのです。ちょっと変わった意匠に思えます。




 なんだか、じゃれている雰囲気がバシバシと伝わってきます。

 そして、一の鳥居脇にある石の祠の集まりです。それ専用の鳥居を潜ると、少し迷路のようなつづら折れを思わせる通路を通って、2つに別れた石碑と祠の集まりが作られています。


これらのうちの一つには、菊の御紋が刻まれていることから、神明宮が合祀されたか、勧請された当時のものか、と想像が膨らみます。そして、他にも沢山あるなかで、文字も判別できないものが多くあるのです。その中の一つに、欠けたのでしょうか?少し富士山様にも見える台形のような石碑があります。そこにはハッキリと「歓喜天」と書かれています。もしかしたら別当寺などが関係するのでしょうか?これらについては、特に説明もなかったのが少し残念でした。それでも、貴重な歴史資産のような気がしています。

鎮座地:東京都江戸川区小松川3-1-2
御祭神:天照皇大神、経津主神
詳細(拙サイトへ):こちらから

【2020/1/11】亀戸浅間神社

 久しぶりに江東、江戸川方面への参拝です。今回、メインの目的地は江戸五色不動の一つ「目黄不動」です。その道すがらで、社寺参拝をしてまいります。
 その始まりが「亀戸浅間神社」
総武線亀戸駅なども使えますが、この日は移動距離を考えて都バス一日乗車券を使って浅間神社からアクセスします。このルートでは、先に亀戸の富士塚が目に入ることになりますが、一旦、社殿に向かって参拝をしておきましょう。そうすれば、すぐ隣の社務所で御朱印をお願いできます。「書き置きになりますが」とハキハキとご対応を頂きました。
 御朱印料は500円。
 境内には、入り口からは直接通じていない大正期に作られた石鳥居などの他、境内社として稲荷神社と下浅間神社とが建っています。そのうち、下浅間神社の御祭神は?と思い立て札を見ると「恵比寿様、大黒様」となっています。「浅間」と名のつく神社なので、木花咲耶姫、あるいはその繋がりを予想していたのですが、意外なコンビの名前が書かれていてビックリ!です。


 それでも、なんとなく北口本宮冨士浅間神社にある恵比寿・大黒天の像が思い浮かんできたのです。一見、社号と無関係に置かれた2柱の神様が不思議になりましたが、色々と考えていみると、むしろピッタリな気がしてくるから不思議です。そして稲荷神社。足元に少し時代のありそうな、可愛らしい狛狐を見つけました。

 さて、これで境内はほぼ歩き切った感があり、境外の富士塚へ。富士塚前には「笄塚」の案内板。でも、その先には富士塚と書かれた石碑もあります。「あれれ?」です。どこか近くに別の塚でもあるのかと見渡しますが、そんなモノは見当たりませんし、ありそうなスペース自体がありません。そこで塚の上に上がってみると、もう一つの案内板が…。それで合点が行きました。

 この塚は、そもそも東征の途中、横須賀走水から出港した日本武尊命の伝説に由来しているのです(これは最初の笄塚の案内で解ります)。この航海の途中、船は嵐に見舞われてしまい、遭難の危険に陥ります。これを救うべく立ち上がったのが命の妻、弟橘比売命です。嵐を鎮めるため、自らの身を荒れ狂う海の中に投げ出します。この強い思いが通じ、船は無事に対岸の木更津へと渡りきり、そして東征は成功します。
 一般には、身を投げだしたところで弟橘比売命の話は終わってしまうのですが、ここに伝わっている伝説では、身につけていた笄(こうがい=髷をかきあげて結うための装飾品)が、ここに流れ着き、媛を祀るために塚を作ったと言うのです。そうなると、ゆうに1900年以上前から塚があったとも考えられます…。
 で、富士塚との関係は?と言うと、その後、江戸時代でしょうか、ここにあった富士講により笄塚を富士塚に転用したということです。

 神社自身も日本武尊命は祭神に列していませんし、当地での浅間様に対する信仰が篤かったという証左なのでしょうか。


住所 東京都江戸川区平井3-2-2
御祭神 浅間大神、木花咲耶姫命
詳細(拙サイトへ) こちらから