ラベル 江東区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 江東区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年1月13日月曜日

【2020/1/11】最勝寺(目黄不動)

 さて、3つ目の参拝先。本日の二大目的地のうちの一つ、最勝寺(目黄不動)です。こちらは天台宗の寺院で正式には牛宝山明王院最勝寺となります。
 
山門からの境内
江戸五色不動として、白・黒・赤・青、そして目黄の不動尊が都内に分散しています。一般的な誤解として、それぞれのお不動さんの目が、それぞれの色で彩色されているように思われますが、実際の像を見ると「あれ?普通じゃん」となるかもしれませんね。
 そう、実際には目も体色もお不動様の一般の像容と変わらないのです。では、なんで「五色」なんてグルーピングが為されているかというと…。
 五行思想の五色(ごしき)からと言われる。

 Wikipediaには
寛永年間の中旬、3代将軍徳川家光が大僧正天海の具申をうけ江戸の鎮護と天下泰平を祈願して、江戸市中の周囲5つの方角の不動尊を選んで割り当てたとされる。最初に四神相応の四不動が先行し、家光の時代ないしは後年に目黄が追加されたとして語られる場合もある。
 こんな説明が書かれています。この後まで読み込んでみると、まずは目白・目黒のお不動さんがあり、これに動坂の赤目不動を目赤と改めさせ、更に青山にあった教学院が近くの廃寺からお不動さんを取り寄せ、これが目青不動となり現在の世田谷、三軒茶屋へと移転。最後に浅草勝蔵院にあった「明暦不動」がメキ不動に訛り、更にそれが近隣の2つの寺院のお不動さんに比定されたのではないかと考えられるようです。結果、江戸五色不動として確立するのは、どうやら明治に入ってからの事となるようですね。
 
 さて、この最勝寺、詳しくはサイトをご覧いただくとして、インプレッションです。この区画、幾つものお寺がならぶ所謂「寺町」です。最勝寺は、この真ん中に位置するお寺ですが、それほど目立つ案内板があるわけではなし、Google Mapと寺号や看板との首っ引きで歩くことになります。一筋間違えると、結構、戻るあるいは前に進んで隣の筋へと移動するのが大変な区画配置になっている分、無事、看板を見つけたときは、かなりホッとしましたね。
 山門から境内に入ると、意外に広々とした空間が広がります。目の前には本堂、目的の目黄不動が祀られている不動堂は右手に建っています。まずは本堂の御本尊は釈迦如来にお参りをします。そして寺務所で御朱印をお願いし、快い対応をしていただきました。

 ここから、不動堂へ移動します。
立派な不動堂ですが、不動尊像はすりガラスの向こう側のため、拝観はせずに手を合わせるだけにしています。そして、最後に境内にある稲荷神社にお参りをして辞去。天気も良くて晴れ晴れとした気分です。

所在地:東京都江戸川区平井1-25-32
宗派/本尊:天台宗/釈迦如来
詳細(拙サイトへ):こちらから

2020年1月12日日曜日

【2020/1/11】亀戸浅間神社

 久しぶりに江東、江戸川方面への参拝です。今回、メインの目的地は江戸五色不動の一つ「目黄不動」です。その道すがらで、社寺参拝をしてまいります。
 その始まりが「亀戸浅間神社」
総武線亀戸駅なども使えますが、この日は移動距離を考えて都バス一日乗車券を使って浅間神社からアクセスします。このルートでは、先に亀戸の富士塚が目に入ることになりますが、一旦、社殿に向かって参拝をしておきましょう。そうすれば、すぐ隣の社務所で御朱印をお願いできます。「書き置きになりますが」とハキハキとご対応を頂きました。
 御朱印料は500円。
 境内には、入り口からは直接通じていない大正期に作られた石鳥居などの他、境内社として稲荷神社と下浅間神社とが建っています。そのうち、下浅間神社の御祭神は?と思い立て札を見ると「恵比寿様、大黒様」となっています。「浅間」と名のつく神社なので、木花咲耶姫、あるいはその繋がりを予想していたのですが、意外なコンビの名前が書かれていてビックリ!です。


 それでも、なんとなく北口本宮冨士浅間神社にある恵比寿・大黒天の像が思い浮かんできたのです。一見、社号と無関係に置かれた2柱の神様が不思議になりましたが、色々と考えていみると、むしろピッタリな気がしてくるから不思議です。そして稲荷神社。足元に少し時代のありそうな、可愛らしい狛狐を見つけました。

 さて、これで境内はほぼ歩き切った感があり、境外の富士塚へ。富士塚前には「笄塚」の案内板。でも、その先には富士塚と書かれた石碑もあります。「あれれ?」です。どこか近くに別の塚でもあるのかと見渡しますが、そんなモノは見当たりませんし、ありそうなスペース自体がありません。そこで塚の上に上がってみると、もう一つの案内板が…。それで合点が行きました。

 この塚は、そもそも東征の途中、横須賀走水から出港した日本武尊命の伝説に由来しているのです(これは最初の笄塚の案内で解ります)。この航海の途中、船は嵐に見舞われてしまい、遭難の危険に陥ります。これを救うべく立ち上がったのが命の妻、弟橘比売命です。嵐を鎮めるため、自らの身を荒れ狂う海の中に投げ出します。この強い思いが通じ、船は無事に対岸の木更津へと渡りきり、そして東征は成功します。
 一般には、身を投げだしたところで弟橘比売命の話は終わってしまうのですが、ここに伝わっている伝説では、身につけていた笄(こうがい=髷をかきあげて結うための装飾品)が、ここに流れ着き、媛を祀るために塚を作ったと言うのです。そうなると、ゆうに1900年以上前から塚があったとも考えられます…。
 で、富士塚との関係は?と言うと、その後、江戸時代でしょうか、ここにあった富士講により笄塚を富士塚に転用したということです。

 神社自身も日本武尊命は祭神に列していませんし、当地での浅間様に対する信仰が篤かったという証左なのでしょうか。


住所 東京都江戸川区平井3-2-2
御祭神 浅間大神、木花咲耶姫命
詳細(拙サイトへ) こちらから