2020年1月12日日曜日

【2020/1/11】亀戸浅間神社

 久しぶりに江東、江戸川方面への参拝です。今回、メインの目的地は江戸五色不動の一つ「目黄不動」です。その道すがらで、社寺参拝をしてまいります。
 その始まりが「亀戸浅間神社」
総武線亀戸駅なども使えますが、この日は移動距離を考えて都バス一日乗車券を使って浅間神社からアクセスします。このルートでは、先に亀戸の富士塚が目に入ることになりますが、一旦、社殿に向かって参拝をしておきましょう。そうすれば、すぐ隣の社務所で御朱印をお願いできます。「書き置きになりますが」とハキハキとご対応を頂きました。
 御朱印料は500円。
 境内には、入り口からは直接通じていない大正期に作られた石鳥居などの他、境内社として稲荷神社と下浅間神社とが建っています。そのうち、下浅間神社の御祭神は?と思い立て札を見ると「恵比寿様、大黒様」となっています。「浅間」と名のつく神社なので、木花咲耶姫、あるいはその繋がりを予想していたのですが、意外なコンビの名前が書かれていてビックリ!です。


 それでも、なんとなく北口本宮冨士浅間神社にある恵比寿・大黒天の像が思い浮かんできたのです。一見、社号と無関係に置かれた2柱の神様が不思議になりましたが、色々と考えていみると、むしろピッタリな気がしてくるから不思議です。そして稲荷神社。足元に少し時代のありそうな、可愛らしい狛狐を見つけました。

 さて、これで境内はほぼ歩き切った感があり、境外の富士塚へ。富士塚前には「笄塚」の案内板。でも、その先には富士塚と書かれた石碑もあります。「あれれ?」です。どこか近くに別の塚でもあるのかと見渡しますが、そんなモノは見当たりませんし、ありそうなスペース自体がありません。そこで塚の上に上がってみると、もう一つの案内板が…。それで合点が行きました。

 この塚は、そもそも東征の途中、横須賀走水から出港した日本武尊命の伝説に由来しているのです(これは最初の笄塚の案内で解ります)。この航海の途中、船は嵐に見舞われてしまい、遭難の危険に陥ります。これを救うべく立ち上がったのが命の妻、弟橘比売命です。嵐を鎮めるため、自らの身を荒れ狂う海の中に投げ出します。この強い思いが通じ、船は無事に対岸の木更津へと渡りきり、そして東征は成功します。
 一般には、身を投げだしたところで弟橘比売命の話は終わってしまうのですが、ここに伝わっている伝説では、身につけていた笄(こうがい=髷をかきあげて結うための装飾品)が、ここに流れ着き、媛を祀るために塚を作ったと言うのです。そうなると、ゆうに1900年以上前から塚があったとも考えられます…。
 で、富士塚との関係は?と言うと、その後、江戸時代でしょうか、ここにあった富士講により笄塚を富士塚に転用したということです。

 神社自身も日本武尊命は祭神に列していませんし、当地での浅間様に対する信仰が篤かったという証左なのでしょうか。


住所 東京都江戸川区平井3-2-2
御祭神 浅間大神、木花咲耶姫命
詳細(拙サイトへ) こちらから 
 

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